トップページ | 全エントリー一覧 | RSS購読

キルラキル最襲回②…縫さんについて勝手に考える

さて、TVオンエア自体は先週で終了ですが
なんだか金曜を迎えると、考えずにはいられないキルラキル…
あれだけの最終回でしたからね、私のように処理の遅い人間は
ちょっとずつやっていくしかないんです、ちょっとずつ…

というわけで、今回は縫さんについて勝手に考えます
なんであの子があんな終わりかただったのか、ひたすら妄想ですよ!


■あの最期って…

いや、ずっと不思議だったんですよ
縫さんの最期

流子・皐月様のコンビ攻撃で身体を切り裂かれた羅暁様が
縫さんに身体を捨てるように指示
縫さんはそれに「ウィ!ママ」(多分フランス語で”はい!おかあさん”)と答え
自らの首を刎ね、原初生命戦維と一体化します

縫さんは、身体の中の生命戦維の力が強すぎて、神衣を纏うことができませんでした
そんな縫さんが原初生命戦維と一体化したことに対し、羅暁様は
”原初生命戦維という最高のドレスを纏うことができた”と言います

しかし、縫さんはその言葉に対し
”あなたが僕を着るんです”と返し、羅暁様に取り込まれながら
”嬉しい…”と消滅していきます

…なんか引っ掛かるんです

何故、これまでずっと”羅暁様”呼びだったのに
このタイミングでは”母”と呼ぶのか
何故”自分が原初生命戦維着る”ではなく、
”あなた(羅暁様)が自分を着る”という表現に訂正したのか

この時点でふと思ったのは
縫さんは、自分が服(生命戦維)になることで
”着られる”ということを実現できたのでは?ということと

でもって、流子や鮮血のように
”人でもない、服でもない”ものが、”着られ”ようとしたら
ああするしかなったんじゃないか、ということ

…ぬー、これはこれでわけのわからないことを書いている気がしますし
そもそも、ぐだぐだ考える必要のあることなのか?っていう気もしますが
とりあえず、始めます


■人でも服でもないのは

流子と鮮血は、自らを人でもない・服でもないと言いました
確かに、流子は人の姿を取ってはいますが、身体は生命戦維と一体化していますし
鮮血は、生命戦維で作られた服でありますが、個別の意思を持っている

しかし、そうすると、人でも服でも無いのは、実は彼らだけじゃない
縫さん(と、実は羅暁様)も、この時点では人でもなければ服でもない存在です

じゃあ、この縫さんは、流子・鮮血と何が違うのか?っていうと
”着られる”ことを求めた、っていうことなんじゃないかと

■縫さんの着られるとは

21話冒頭で言われていたのは
縫さんは、身体の中の生命戦維が反発して、神衣を着てもその能力を引き出せない
…あれ、じゃあ神衣自体を物理的に”着る”っていうのは
できるにはできるんですよね?

しかし、いわゆる”着られる”という言葉の意味って
服が人より勝っている状態、っていうことですよね
縫さんは、身体の中の生命線維が強すぎる、と言われていたので
そうすると、確かに縫さんは”着られる”ことができない…
物理的に”着る”ことは可能かも知れないけれど
彼女は、決して”着られる”ことがない

…あ、いや、違います
もうひとつありますね、”着られる”
それは、服が主語の”着られる”
鮮血が、よく流子に言っていた”着られる”ですね

彼女は、ずっと人の姿をとっていたら
人間が主語の”着られる”はできなかったけれど
人の姿を捨てたことによって、生命戦維…服になることによって
服が主語の”着られる”はできるようになった
羅暁様に”着られる”ことができた

なんだか言葉遊びみたいですが
自分が”服”になることで
人の姿では叶えられなかった”着られる”を実現した


■”あなた”に着られたかった

”着られる”という言葉、この作品ではもうひとつ意味がありますよね
服に奉仕する…生命戦維に身を委ねる、心を委ねる
意思を持たない、考えないということ
言いかえれば、大きな力を持つ何かに帰属したり依存したりすることと考えます

さて、ここでもう一つ気になるのは
彼女が、原初生命戦維というドレスを着る、という表現を否定し
”あなた”が僕を着る、と表現したこと

生命戦維に支配されるということを”着られる”とするなら
羅暁様の言い方でも、正しいには正しいんです
原初生命戦維と一体化し、針目縫という意識を手放したわけですから

しかし、縫さんは
自分の支配者である羅暁様の言葉を訂正したがった
それはなぜか

それが、この直前の言葉
「ウィ!ママ」にかかるわけですね
縫さんにとって、羅暁様に”着られる”ということは
母親に帰属するっていうことなんでしょう

…ここで、もうひとつ気になるのが
何故、このタイミングで”ママ”なのか、っていうことなんですが
もちろん、身体を捨てることで”着られる”ことができると分かったからというのもあるかと思うのですが
多分、この局面で初めて、グランクチュリエという自分の能力ではなく
針目縫という、自分自身が必要とされたから、じゃないかと思ってます

これまで、羅暁様っていうのは、縫さんの能力は高く評価していたわけですが
11話で”あの子の気まぐれに付き合う”と言い、
13話で、皐月様に言われるまで縫さんを咎めなかったあたり
縫さんの行動や人格っていうのには、良く言えば自由にさせていた
悪く言えば、放任していた、関心が低かった
自分の子供として扱っていなかった、母として接していなかったっていうことですね

で、その13話、自分の行動が羅暁様によって咎められた時
自分が好き勝手に動いた方が、皐月様の本気が見えていいでしょう?と言っていたので
この時は、羅暁様からとやかく言われないのをいいことに好き勝手やってると思ってました

けれど22話、鳳凰丸さんに羅暁様の期待を裏切るのか!と咎められた時に
そんなことあり得ない、と返していたあたり、縫さんという人は
気まぐれで、好き勝手に振舞っているようでありながら
羅暁様に愛想を尽かされることは絶対にしなかった
そもそも羅暁様の下を離れるようなことは絶対しなかった
自分を娘と呼ばない母親の下で、母親に奉仕していた娘だったわけですね

そう思うと、彼女の気まぐれっていうのは
本当は放置されたくない気持ちの表れで
例えば、幼い子供が親に構われるためにわざと悪戯するように
自分に関心を向けてもらうための行為だったのかな、と

しかも、それらをストレートに表現しない、敢えて屈折した物言いをしているのが
自分の望みがかなわないことに対して傷つかないための
彼女なりのバランスのとり方だったのではないかと思います

でもって、今にして思えば、
19話、皐月様・流子姉妹を「お母さん似のとっても素敵なお嬢さんと」と言いながら、布を切り裂いたシーン
あれは、縫さんにとっては、羅暁がどう応えるかを試すという、自分の立ち位置を確認したい台詞であり
あの布ズバーは、”娘”扱いされないことに対する怒りと絶望の表現だったのかも、と
今更ながら思います


■服になることは、人になること

…と、なんだかいろいろぐちゃぐちゃ書きましたが
ざっくり纏めると

彼女は、服になることによって、人としての望みを叶えた
ということは、ものすごく粗っぽく言うと
服になることが、結果的には人になることであった
なんかヘンな感じですが、こういうことだったのかも

と考えると、この縫さんっていうのは
流子・鮮血とやり方は違うけれど、「人であり、服である」を実現し、なおかつ
”着られる”という望みを達成した
人でも服でも無い女の子が、服として、そして人として”着られる”ということは
ああいうことだったんじゃないか

映像のインパクトが大きくて、つい不気味さが先行してしまいますが
これはこれで、一人の女の子の結末としてとても悲劇的だと思いますし

あとは、やっぱり縫という女の子は、流子と裏側というか
対の存在であったのだなぁ…


と、勝手に思いました
関連記事
スポンサーサイト
トラックバック
トラックバック送信先 :
コメント

プロフィール

きりたちのぼる

Author:きりたちのぼる
ボカロ(特に千本桜)と、仮面ライダーと、フィギュア遊びと、あとその時にハマってるアニメの感想などをやっています。
だいたい迷走してます。
よろしくお願いします。

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR